フルタアキラブログ

あふれる情報の捉え方

誰がその情報を発信しているのか

例えば、テレビを例にとると分かりやすい。

 

民放局はスポンサー企業等の広告収入で成り立っている。ということは、スポンサーの競合製品や相反する考え方を放送することはない。

 

その番組はまるで視聴者のためではなく、少なくてもスポンサーのためのものとなる。

 

スポンサーの意向に沿った番組だったら、まあ察しはつくが、その番組に出演するスタッフや、それを制作するスタッフの主義思考が大いに反映されている番組も実に多い。

 

民放に限らず、国営放送をみるとよくわかる。つまり、強調したいニュースや話題は大きく報道するが、そうでないものは扱いが小さかったり扱われもしないことがことさらに多い。

 

限られた時間で報道をしないとならないので、情報を発信する側の気持ちも分からなくもないが、その受け手の大半は発信されたままの上方をそのまま信じてしまうだろう。

 

こうやって、戦中はラジオを中心に、戦後はテレビが情報発信の大きな役目を果たしてきた。

 

インターネットが普及して20年ほどになるが、得ている情報内容の世代間格差は今まさにピークだと考える。

 

見たこと、聞いたことに対しては、常日ごろから、”なぜ?” と問いかけるようにしたい。